妻 ; 清美・・・姉さん女房
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昭和3*年5月、東京都大田区大森で生まれる。
京浜急行梅屋敷駅から徒歩10分ほどの所にある4畳半一間、
半畳の台所、トイレ・洗濯場は共同という小さなアパートで暮す。
硬〜い固形の石油くさい?洗濯石鹸と波のうった洗濯板とタライで洗濯、
母の手伝いをしたのを覚えています。
目の前が銭湯でアパート2階の部屋から男湯が丸見えだったから
「今すいてるよ!」といった具合にとっても都合が良かったなぁ。
そしてなぜか番台にも座った事もしばしば、、、どうしてだろう(^^ゞ
遊びといえば、メンコ、コマ回し、鬼ごっご、かくれんぼ、などなど。
おやつも隣の駄菓子屋さんで、ふたつきの大きなビンの中に手を突っ込んで
1円、5円、10円の世界。
ちなみに、ご近所さんに、あの「なが〜いおつきあい」のナガイのふりかけの
ナガイの社長さんがいらっしゃいました。
そんな環境の中、家族3人、私が小学校3年1学期まで暮していました。
その後、神奈川の寒川町という、その頃は田んぼばっかりで
な〜んにもなく、私の転校先といえば、今までは大森第一小学校という
環七?環八?沿いにある都会の学校から突然、全校生徒20名ほどの
分校に案内されたのでした。
でもその分校も直になくなってしまうからなのか、今だに不明なのですが結局通う事なく
実際に通ったのは、1クラス30人位で1学年3クラスある規模の小学校でした。
それでも都会育ちの私には(ホントです)、田植え体験、、コオロギ、カエル、ヘビ、
いろ〜んな事にビックリする毎日で、なかなか馴染めなかったのを覚えています。
馴染めなかったといえば、遠足。
それは小学校だけでなく、中学、高校まで続きました。
だって、いつもビニール袋片手に遠足でしたから。楽しい事なんてひとつも
ないんです。座るバスの席はいつも前の方の窓際。
よくいたでしょ、あなたのクラスにもそういう子が。
だから中学、高校の修学旅行は電車だったから、楽しかったぁ。
中学時代は地元の中学で、今も付き合いのある友達は皆、中学の同級生。
学校生活の中では、一番楽しかった時代。
高校は、電車とバス通学。
なんだか、急に大人になったような(自分でそう思ってるだけの事)、
世間が広く感じた頃。毎週、週末になると中学の同級生と、新宿まで遊びに
行ってました。原宿、表参道、代々木公園、NHK・・・なつかしいな。
遊びまくってたこの頃、ひとつだけ熱中してたのが、和文タイプ。
ワープロ、パソコンが普及された今となっては、なんじゃ〜って感じだけど、
その頃これだけは、なぜかはまっていた私です。
高校1年から3年までの3年間、県大会に出て2年連続個人優勝、
準優勝1回、名誉あるノーエラー賞2回、全国大会出場1回。
今まで生きてきた中で、一番熱中した事、だったと思う、きっと。
就職試験、これは私にとっては大きな分岐点だったかなぁ。
勉強は特別やりたくないし、好きじゃないから大学へは行きたくなかったし。
勉強するより、就職して自分のやりたい事して、思う存分遊びた〜いと
思ってたから迷わず就職活動。
得意な和文タイプで、日本だけでなく外国にもつながりを持てるような仕事が
したいと思い、先生から外務省に入るには国家公務員だと進められる。
約2200人が一次の筆記試験を受け、たったの200人足らずが合格。
ナント、その中に入ったのでした。
先生からも「まず、二次の面接で落ちる者はいないから大丈夫だ」と
言われるが、ナント、落ちた!
二次の結果が出たのは、もう皆は就職先や進学先がすっかり決まって
ルンルンの時。予定外?の出来事に、脳みそバーン!って感じだったけど、
ジタバタしてもしょうがない。。本番に弱い私としては、
予想外ではなかったのかも知れません。
結局、通っていた高校の近くにある大学の会計事務に決まったのでした。
この「近く」というのが、なんともありがたく、私をバイクの世界へと
導いてくれたモノだと、就職してから身にしみて思ったわけです。
最初の1ヵ月位は電車で通勤してましたが、満員電車がいやで
いやでしようがなく、18歳で原付免許を取得し通勤。
ところが数ヶ月で、原付では物足りなくなり、車の免許を取ってから
自動二輪の免許を取得。
そんなわけで、国家公務員の二次試験に落ちていなかったら、
大学に就職する事もなく、バイクの免許も取らなかったかも知れないのです。
大学に就職したおかげで、バイクを知ったおかげで、20日間位
取れる夏休みや、仕事が終わった夕方、思う存分走りに行けたってわけです。
とにかく遊びまくってました(^^ゞ
バイク経歴・・・GX250
Z400GP
DUCATI 400 F3
DUCATI MH 900 e
・・・いまだ現役。
あっ!でも、足がほとんどつかずバレリーナ状態だけどTT200にも乗ります。
乗鞍に住んでから約5年間は忙しくてほとんど乗れませんでした・・・ストレスたまり気味。
カワサキのGPに乗ってた頃は、毎週のように箱根や伊豆に、
とにかく一人で走りまくっていて1年間に3万km以上走っていたのに、
ドカになってからは全然・・・・
でも結婚14年目の時、子供達も大きくなり、私の中で何かがふっきれたんです。
それまでは私がいない間の家族の心配とか、いろ〜んな事考えた時、
どうしても長い間家を空ける勇気?みたいなものがなくて家族を置いて
”自分が楽しむ”そんな気になれなかったのでした。
そんな想いがある時ふっきれました、私の中で。
ドカもまた活動開始!やっぱりドカはいい!
日本で唯一行った事がなかった四国も’99年に行く事ができました。
1年という365日の中でたった10日、たったの10日間だけ自分だけの事を考えて
自分の為に過ごす日があってもいいですよネ。
その時だけは行きたい所に行って、美味しいモノ食べて、時間を気にする事もなく、、、、
私の精一杯の贅沢。
今まであまり乗れなかった分、これからは時間をみつけてたくさんたくさん乗りたいナ。
そして結婚25年、銀婚式。成人した子供達に祝ってもらう。最高に幸せ♪
そしてそして、清美40ウン歳で初孫、ばぁばになる。
今まで生きてきた中で一番感動した日となりました。
いつまでも若いと思っていても、体は正直。
一番謙虚に表れて、自覚したのが老眼。
でも、、歳を重ねるっていうのもいいもんだ、と思えるようになった今日この頃。
呼び名・・・みんなから、『ピーさん』とよばれている。
決してピーチクパーチクうるさいからではないのです。
神奈川にいた頃、ツーリングクラブの男の人達から「パーコ」と
呼ばれていたのが、いつのまにか「ピー」になっていたのでした。
「パーコ」、、、男みたいにぶっ飛ばして走ってる事から、「オッパラパー」の
意味で、そうあだ名がつけられました(^_^;
趣味・・・やっぱり一番はバイク。
それから物(ドライリースやパッチワークその他もろもろ...)を作る事・・
ちょっとバイクとはアンバランスな趣味。
あと、趣味ではないけど、手話が少しできます。でも、まだまだ勉強中!きっとずっと勉強中です。
好きな食べ物・・・お寿司、さぬきうどん・・特にカルボナーラ(釜玉)、ケーキ、
ラーメン、ピザ、お豆腐、
好きな事・・・一番は食べ歩き。それとナント言ってもバイクで走る事。
きらいな言葉・・・「世間の常識」とか「普通」という言葉
あまり好きではありません。
その人それぞれ常識の範囲も違うし、何が普通で何が普通じゃないって
これも人それぞれ違うし、決められるものではないから。
それから「昔・・・」って言葉、私の年代でも言うのにちょっとおこがましい気が
してしまうのに、10代の若い子達がたった2〜3年前の事や自分の子供の頃の事を
「昔」って言ってるのを聞くと「昔ってあなたは一体いくつ???」って
聞きたくなってしまう私はオバサン?
いやいや私は「昔はあぁだったこうだった」って言うような
ただのオバサンにはなりたくない(^^ゞ
尊敬できる人…穏やかで優しい人…この一言?二言?に尽きます。
嫌いな人…人のせいにする人、困った時逃げに走る人。
人のせいにする前に今どうしたらいいのか、なぜ考えられないのだろう。
そんな人のそんな時の顔はとっても醜くて恐い。
自分の思い通りにいかないとすぐに態度や顔に出る気分屋。
態度や言葉がえらそうな人、そんな人に限って歳を含めて自分にとって
いろんな意味で自分より『上』だってわかった時、態度がコロッと変わる。
イヤな事・・・「ごまかし」う〜ん、何て言ったらいいのだろう。
「あやふや」「曖昧」とか。
する方もされる方もとっても辛いし、やるせないし、悲しい。
優しさ、思いやりって何だろうって思う時がある。
「沈黙」が優しさ、思いやりだとは絶対に思えないし、
そうかと言って何を言ってもいいのかって、そういうものでもない。
「ウソも方便」「ウソをつき通す」って事も必要な時があるのも確かだし。
「知りたくなかった」「ウソをつき通してほしかった」って時もある。
疑いを持たなければ、不安を感じなければ、それが一番いいけど
疑問を感じ不安を感じたとしたら、私は本当の事を知りたい。
私は、いろんな事を悪くあれこれ考えてしまう悪いクセがあって
それでいつも悶々として苦しくなっておしつぶされそうになる。
悶々とした日々を送るのだけはイヤ。それが一番イヤ。
そんな私でも、知ってしまえば開き直れるってところで
いつも救われてるかなぁ。。立ち直りが早いっていうか。
現実はそうなんだから、それは動かしようのない事実で、
もうなるようにしかならないって考える。
結局単純なんだな。
もちろん考え方は人それぞれだから、でも?だからワタシは…
はぐらかされたり、曖昧にされたり、ごまかされたりするのは
ワタシはかえって傷つくし、辛すぎる。
そんな悶々とする時間に費やすエネルギーって、とってもとっても疲れる。
だからごまかされるのはイヤ。
とか言って、結構自分は優柔不断で流されやすいところがあるから
困っちゃうんだなぁ〜(泣)
今が良ければそれでいい…やっぱり単純で行き当たりバッタリのB型(笑)
それから人の顔色を伺う事…したくない事だけど、してしまう事、ある。
人を思いやるという意味の相手の気持ちになってとか、人への気遣い、
心遣いとは全く違う意味での「人の顔色を伺う事」
そうしている自分がすごくイヤ、とってもとっても疲れます。
ストレス解消
*春と秋はもちろんバイクでどこかへ走りに行く事。
(夏は乗鞍に缶詰状態、冬は雪で乗鞍脱出不可能ですから^^;)
*やたらとり付かれたように料理する。ピザ、ケーキ、食べるもの何でも。
*乗鞍から脱出する。
*手紙・日記・メール・とにかく文字を書いて書いて書きまくる。
最近思う事・・・きれいな日本語を話せる人になりたい。
もちろん友達に対しては別として、、、ですよ(^^)
よくありませんか?人と電話で話していて、それも初めて話すにも関わらず
受け応えがまるでなってない、慣れなれしい人。
「うん、うん」とか「あぁそうなんだっ」「〜っていうの?」取り上げたらキリがないけど。
「はい」でしょ「はい」!って言いたくなっちゃう。
その人にとっては親しみを込めて話してるの?かも知れないけど
なんか勘違いしてる・・・逆にとっても不快な気持ちになる。
しかも、最近の営業・サービスに従事している人に結構多いのはなぜ?
正しい日本語って実は私も本当のところ理解してないと思う。
だけど、話していて、聞いていて、気持ちがいいなって思える事が
とっても少なく、それも一握りになってしまっているって、なんだか悲しいこと。
「幸せ」感じる時
*寒い日にバイクで走って休憩、熱〜いコーヒーを飲んだ時
*真っ白な雪山と真っ青な空の景色を見てる時
*子供達のケラケラ笑う声を聞いている時
*人様が作ってくれた料理を頂く時
*自分のした事で誰かの喜ぶ顔を見る事ができた時
*気の合う友達ができた時(年を重ねていくとなかなかないものです)
*ケーキが上手にできた時
*今にもこぼれ落ちそうな満点の星空が見られた時
*1対1で我が子と出かけて過ごす時間
(きょうだい3人、いつも3分の1。でも1対1なら全部ちゃんと向き合える かな)
*家族5人全員で旅行に行ける時(最近の10年でたったの1回)
*雪の上を歩いて「キュッキュッ」って音がした時
*人の優しさ・思いやりに触れられた時
*我が子のお友達が家に遊びに来てくれた時
*温泉巡りしてボーっとしてる時
*ギョウザの皮と具がどっちも余らずに包めた時
*な〜んにも用事がなく束縛される事なく街をブラブラできる時
*バイクで走っていて突然目の前に海が広がる瞬間
*美味しい〜お寿司を食べてる時
*雪が降って木々も真っ白に、白銀の世界に包まれた朝
*未開拓のお店が「大当たり!」の時…特に「食」
*日記帳の最初のページを書く時
*地図を見てる時
*誰かに元気をもらった時
*きつかったジーパンがすんなりはけた時
*何にもない雪の上に動物達の足跡を見つけた時
*赤ちゃんが笑ってくれた時
*お風呂に早く入る事のできた夜(1年に数える程)寝るまでのまったりとした時間
*友達とバカっ話しをしてる時
*ケーキをお土産に頂いた時(ケーキ屋さんへ買いに行くって事がないから。自分作じゃないケーキが食べたい!!)
… これからもどんどん つ・づ・く ことでしょう…