このページは平成10年に安曇村が発行した「安曇村誌」第1巻〜第4巻を元に作られています。

『ひとっきら安曇村』
「ひとっきら」・・・・・安曇村の方言で「すこしの間」っていう意味なんです。
安曇村の歴史、方言、伝説、などなど安曇村のあれこれをご紹介するページです。
「われ、ひとっきらやすめや」


伝説雑炊橋(ぞうすいばし)

松本方面から国道158号線で安曇村に入ると最初のトンネルを通る前に役場や学校が右手にあります。その辺りを「島々」といい、梓川の向こう岸にある地区を「橋場」といいます。昔、梓川には橋が架かっていませんでした。今は島々と橋場の間には橋があるのでいつでも行き来できるようになりましたが、橋がなかった頃は行きたくても簡単には行けませんでした。流れが急なので橋をかけようとしても無理があったのかもしれません。
その頃島々には清兵衛という若者が、橋場にはお節という娘さんがいて恋に落ちました。でも橋がないので逢うにはずっと下流まで行かなければ逢えませんでした。なんとかもっと楽をして逢えないかと考えた二人はお金を貯めて橋を架けようと思い立ったのです。でも架けるといっても、ちょっとやそっとの金額ではどうにもならず、、そこで2人は毎日雑炊を食べて倹約して食うや食わずの生活を続けたそうです。
その後2人はそんな生活を何年か続けて貯めたお金を里長に差出し、橋を架ける費用の足しにして欲しいとお願いをし、これがきっかけになりお上の力もあってやっと2人の願い通りに橋が架かった、というお話しです。

江戸時代には橋は12年ごとの寅年に架け替えられ、手伝いの近郷の村人や見物人でにぎやかであったそうです。橋が完成すると島々からは清兵衛の人形、橋場からはお節の人形が中央へ進み出て、伝説にちなんだ祭りがおこなわれたそうです。昭和62年の架け替えの時も、この渡り初めの行事が行われました。
ちなみに昔の人形の頭部は、現在も梓川村の大宮熱田神社に保存されているそうです。

伝説大池の竜神

前川渡から乗鞍の県道を来ると県道沿い右手に最初の池があるのをご存知ですか?池のそばに大野川小・中学校が建ち、樹木がうっそうと茂っていた昔の面影はありませんが、その池が大池(御池)です。大池の中には小島があり(今もあります)弁財天と乗鞍権現の二つの神がまつられています。干ばつの年には、ふもとの村人達が遠くから水をもらいに来て雨乞いをしたそうです。又、ここの土地の人々もこの大池で雨乞いをする習慣がありました。
伝説によると、この池の十数ひろさのの深さのところに神様がすんでおられたそうで、ある時、一頭の年とった熊がどうしたことかこの地に来て溺死しました。竜神はこのけがれを怒り、すると一天にわかに暗くなり、池のまわりから紫雲がわきだし、あれよあれよといううちに、乗鞍岳の頂上の権現池(一ノ池)に行ってしまったそうです。又、大池には竜が住んでいて、その頭は権現池につながり、胴体はこの大池にあり、尻尾は諏訪湖へつながっているという言い伝えもあります。
現在でも池に石を投げ込んだり棒でかきまわしたりすると大嵐になり、池の工事などをすると怪我をしたり病気になったりすると言われています。だから大池の周辺はかわりましたが、大池は昔のままだそうです。
今も尚、あの大池に石を投げたりいたずらしたら嵐が来ると地元の子供達にはちゃんと語り継がれているんですヨ(^.^)

伝説千間淵

大野川は山の中で道が悪かったので、薪を運び出すには、渓谷を利用して流し出すしか良い方法がなかったそうです。ある年のこと、千間ほどの薪を伐って、いつものように谷川に流しました。ところが途中で全部行方不明になって、何日も手をつくして探しましたが、見つけることができませんでした。それから十数日たって、ある杣人が用事があり千間淵に来たところ、薪千間あまりが全部浮かび出ていました。村人はこれは神様が薪流しを見捨てたのである、今後こんな事があっては大変だからお祭りをしようという事になって、淵の近くに祭壇を設け、供え物をしてお祭りをし、酒を飲みました。この時、肴を盛る皿がなかったので木の葉をかわりに使いました。すると不思議な事に淵から皿が数限りもなく浮かび出てきたので、村人は大よろこびでこれを借りて酒宴をしました。これからのち、村人は食器が必要な時には、この淵に祈願すると必ず貸してもらえたといいます。その後、ある里人がこの話しを聞いて、食器を借り、そのままどこかへ持ち去って返さなかったそうです。淵の神様は怒ってしまい、それからはいくらお願いしても貸してくれなくなったというお話しです。

つづく

次回は「自然」のお話しです。